再度内視鏡手術に戻りたいと思います。内視鏡という発想自体はかなり昔からあったのではないでしょうか。しかし、それは夢の構想図のようなものであり実現するにはかなりの技術を要することだったでしょう。昔には、技術も存在しませんし、細かいものを見る目というものが存在しませんでした。どう頭の中で考えても、夢の構想図に過ぎなかった訳です。あのオリンパスの力は大きかったのではないでしょうか。オリンパスは極めて小さなカメラを管の先端に取り付けたガストロカメラというものを実現化させたのです。要は技術というものがミクロの世界とどう立ち向かうことが出来るのかと言うことです。
内視鏡に限らず、この世界にはまだいろいろな需要があるのではないでしょうか。通信機にしてもそうです。もし、ミクロの通信機があれば、誘拐犯人に手渡した札束に通信機忍び込ませばいい訳です。実際、それ程今の技術ならば難しい問題ではないかと思います。しかし、これらの発明はいいことに使われるだけではないというのも現実なのではないでしょうか。
管の問題があります。例えば、もっと技術が発展すれば、カプセルのようなものを飲み込んで、それを体外から操作して、管を通す恐怖など何も感じないという手術も可能なのではないでしょうか。そこに至るまでには、技術と、量産化されて安価になる必要というものもあります。しかし、その世界も夢の構想図かと言えば、実現の一歩手前まで来ているのではないでしょうか。
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